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2010-05-22

天文歴・その2

実際に夜空を見るのは双眼鏡による「観望」止まりで、望遠鏡やカメラを使う本格的な「観測」まではいかなかった。

大学のとき天文関係のサークルに入ったが、どちらかというとゆるいサークルで、合宿(「美園(御園?)」という所の天体観測専門の宿?に何度か行った)などでは飲んだりマージャンしていた記憶の方が強い。それでも靴の中に入れたホッカイロがかちかちに冷えたり先輩が望遠鏡に白金カイロをまいたりしていたこと、懐中電灯に赤いセロファンをつけたりして明かりに気を遣っているのに遠くの街灯が邪魔で「割って来い」と冗談を言ったこと、一晩中起きていた後「天文薄明」が始まると、さあっと空全体が薄明るくなって観測に適さなくなり太陽の威力を感じたこと、学祭でプラネタリウムをやったことなどは良い思い出だ。天文台のある野辺山近辺にも行ったが、隣の駅が流行りの観光地である清里なのに、鄙びていて良かった。

一人一回はチャンスがあるハレー彗星が1986年に回帰したときは、日本では条件が悪く全くといっていいくらい見えなかった。ちょうど社会人になった直後だったので、会社を休んで見に行くのが気が引けて見逃した。一生の後悔ものかも。

日食観測ツアーには何度か行った。
1987年9月23日の沖縄への金環食ツアーでは、大部分月に覆われていて縁しか出ていないのに大して暗くならない太陽の威力に感じいった。それでも気温が下がって涼しくなり、空全体が微かに薄墨がかったような感じになった。

1988年3月18日の皆既日食は小笠原沖の船ではなく、スマトラ島のパレンバンに行った。ジャカルタで観光地のバリ島へ行く他の日本人と別れ、小さな飛行機でスマトラ島ヘ。観測中、早朝のアラーへの詠唱が遠くから聞こえた。観測終了後、町中で飲んだジュースの氷のせいか水にあたったりもしたが、皆既日食は見事に見えた。金環のときとは違い、皆既になるときにすうっと暗くなり(完全に真っ暗ではないが)コロナがぱあっと見えたこと、「ダイヤモンドリング」は光量を調節しなくてはならないテレビカメラと肉眼では見え方が違うこと(最後にピカッと光って隠れるのでなくすうーっとそのまま隠れ、出てくるときもすうーっと光が大きくなっていく感じ)、双眼鏡でもプロミネンスが見えたことなどを記憶している。

1991年7月11日のときは、メキシコの方が条件が良かったのだが、日和ってハワイに行ったのが失敗だった。前後は晴れていたのに、皆既の間中、太陽の周辺だけ曇っていたという痛恨事。まあ曇るリスクは付きものとはいえ…あれには泣いた。

1977年にうちあげられたボイジャー1号・2号の外惑星探査(~1989)はすごくおもしろかった。木星では表面のダイナミックな様子・リングの存在・衛星イオの噴火、土星の環の細密な映像・巨大なクレーターのある衛星、天王星のリングの構造、海王星の鮮やかで美しい青い色など、それまでにない外惑星の鮮明な映像や画期的な情報にわくわくした。

最近では宇宙に置かれたハッブル望遠鏡が、大気のヴェールを通さない桁違いにクリアーな観測をしており、時折一般のマスコミにも出てくるその映像の鮮明さには驚かされる。スペースシャトルはなくなってしまうようだが、なんとかハッブル望遠鏡の運用は続けて欲しいものだ。

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2010-05-22

天文歴・その1

最近はあまり見ていないが、星を見るのも好きだった。

と言っても、小学生の頃まではあまり興味はなく、カシオペア座とオリオン座がわかるくらいだったと思う。
近所の同級生の男の子が転校した後、望遠鏡で星を見てるけどそっちでも見える?みたいなイラスト入りの手紙をくれたのだが、当時はふうーんと思っただけだったような。筆不精だったのでろくに返事も書かなかったかも。ごめんね、四日市に行ったA君。元気ですか?

私は1969年の「人類月に立つ」をぎりぎりで覚えていられる世代なのだが、月面到着のシーンなどはその後何度も観たので、もう生で観たかどうかはよくわからなくなってしまっている。多分当時はその重要性をあまり認識していなかっただろうし。

中学生になったころだったかに、草下英明の『星座手帖』(社会思想社(現代教養文庫)、1969)を読んだのと、実際の夜空で北斗七星を見てその大きさを確認したことで目覚めたような気がする。
ギリシャ文字のアルファベットは天文のために覚えた。
理科・科学は好きだったが基本文系人間なので、天文関係の本では科学と文学を結びつける類の本が好きでよく読んだ。草下英明の著作はなじみやすくおもしろかった。

プラネタリウムに行ったことはあったと思うが、プラネタリウムのコンパクトでシャープな感じと、実際の夜空の「大きさ」と星の見え方は全然違う。街中に住んでいたし近眼でもあったので、空の状態が良いときでもふだんは四等星くらいまでしか見えないし、天の川も見たことはなかったが、それでも夜空のスケールには感じるものがあった。

バイキング1号・2号の火星探査(ともに1976年に火星に着陸)では、赤い地面とピンクの空の火星の写真に興奮したものだ。父が新聞を4紙ぐらい持ってきてくれたのだが、全部色が違っていておもしろかった(地面が灰色のと、空がピンクでないのがあった)。

一般の宇宙への関心を高めたテレビの宇宙ドキュメンタリー番組「コスモス」(カール・セーガン監修、1980放映)も観ていた。ちょっと大仰なところや眉唾なところもないではなかったが、なかなか見栄えのする番組だったと思う。

ものの名前の由来や物語としての神話は好きだったが、星占いとかは、そもそも占い全般にほとんど興味がない、というよりむしろ嫌いだったので、生まれが何座とか血液型が何だからなんだとか、別にどうでも良かった。某漫画にはまってから、どうせならあの登場人物と同じだと嬉しかったなーとか、あの人と同じだからちょっといいかも、とか思う程度。

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