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2015-02-26

九井諒子『ダンジョン飯』1巻

九井諒子『ダンジョン飯』1巻(BEAM COMIX、2015.1.27)。
KADOKAWA発行、エンターブレイン企画・制作。「ハルタ」誌連載。
2015年2月16日付の初版4刷。

「冒険者」がダンジョンで化け物と戦っていたりする、ファンタジーのゲームでよくあるような世界の話。
ダンジョンの中での食料を「現地調達」するのだが、料理の仕方とかが妙にリアルでおもしろい。
化け物への対処方法もなんだか納得できたりする。

結構マニアックなネタで読者を選ぶものじゃないかと思ったけど、かなり売れているようだ。
本屋で壁面一つ使って展示してあって驚いた。
一月も経ってないのにすでに4刷だし。

いや実際楽しくておもしろいので、興味がある方は読んでみては。
続巻が楽しみです。

以下、あんまりストーリーに関係ないけど内容にふれるので。
 

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2015-02-26

拍手御礼

今日拍手くださった方、ありがとうございました!
はて、最近はあまり新しい本も読んでいないのですが、どれがお気に召しましたでしょうか。やはり個別に拍手設定すべき?
ともあれ、これからもよろしくお願いいたします。
 

2015-02-14

栗本薫『ヒプノスの回廊』

栗本薫『ヒプノスの回廊』(ハヤカワ文庫JA、2011)読了。
大河ファンタジー<グイン・サーガ>外伝第22巻。
作者名義のグイン・サーガ、これが本当に最後の巻。

各所に発表された単行本未収録の短編を集めた作品集。

本編の感想で感慨は語ったので、以下に普通に内容感想など。
 

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2015-02-08

栗本薫『見知らぬ明日』

栗本薫『見知らぬ明日』(ハヤカワ文庫JA、2009)読了。
大河ファンタジー<グイン・サーガ>第130巻。
通常の半分の厚さの絶筆となった本編最終巻。

どんどんやばい雰囲気になっていくヤガの話をおいて、パロのリンダとヴァレリウスの話がメイン。
イシュトヴァーンが何かをたくらみ、場面変わってフロリーが正気に返ったところで突然の終幕。

こんなところで…!だがいたしかたない。
病気がかなり重篤になってからも3か月に1冊くらいの驚異的なペースを維持していたのはすごかったが、この最終巻でもいつものちょっとくだくだしい描写が変わらないのも、ある意味すごいことなのかもしれない。

なんか文句もいろいろ言った気がするが、何はともあれ、これまで楽しませてくださってありがとうございました、と言いたい。

別作家により「本編」の続きも書かれているので、機会を見つけてまた読んでみたいと思う。
 

2015-02-08

森岡浩之『星界の戦旗Ⅴ』

森岡浩之『星界の戦旗Ⅴ 宿命の調べ』(ハヤカワ文庫、2013)読了。
「新世代スペースオペラ」と銘打たれていたハードSF<星界>シリーズ本編の最新刊、第一部完結巻。

「アーヴ」という遺伝子操作で作り出された宇宙に適応した種族と、それに対抗する人類との戦いを描くSF。
心ならずもアーヴ側に組み入れられてしまった青年とアーヴの皇族の王女が主人公。
がっちり作られているアーヴ語を軸に、シビアな戦いを描いているハードSFだけど、主人公二人の関係などラノベ的な展開も楽しい。

「Ⅳ」が出てから9年目の新刊。第一部完結、とのことだけど、続きはまだ出るかなあ…。
作者の方は大病もされたそうだけど、これからも書き継いでいって欲しいものです。

また感想書くの忘れてたけど、先日買っていて観ていなかったアニメをばーっと観て、そう言えば、と思って買って読んだ新刊。
だいぶ忘れてるけど、記録によると「Ⅳ」も外伝にあたる「断章」2冊もちゃんと読んでいるようだ。

ちょっと調べてみたら、紙の本よりKindle版が先に出てきて、ちょっと複雑な気分になった。
紙の本も絶版にしないで~。

ハードSFだけどおもしろいですよ!

以下、内容にふれるので畳む。
 

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2015-02-06

老眼鏡から読書をかすってスマホに至る雑感

少し前から二つ目の眼鏡を持つようになった。有り体に言えば、老眼鏡である。
直接の動機は電車の中で本が読みにくくなったためである。
「趣味は読書」と言うしかないほど趣味の乏しい人間であり、近頃はその読書も通勤電車の中くらいになっているのだが、いかんせん、それがやりにくくなったのだ。通勤電車の中では混んでいると顔と本の距離がとりにくいためだ。
従来から近眼ではあったが、二焦点レンズの眼鏡より見えやすそうだったので、思い切って二つ眼鏡を持つことにしてみた。
予想通り電車に乗り降りするときに掛け替えるのが少々面倒ではあるが(読書用眼鏡では遠くはもちろん足元もかなりぼんやりする)、気がつくと仕事で手元の書類を読んだりチェックするときなどもかなり見えにくくなっていたので、まあ潮時ではあったのだろな…。

さてその電車内の読書だが、ケータイ、もとい最近ではスマホが普及し、電車内などではスマホをいじっている人が多くなって、本を読んでいる人よりはるかに多く目につくのが現状だ。
ただ、もともと本を読む人というのは大変少数派であったので、端末を使う人がふえたからといって、それで本を読む人が減ったというわけではないだろう。
読む人の中では自分の蔵書を「自炊」して端末で読んでいる人もいるだろうし、電子書籍のコンテンツもふえてきているようだが、端末で「読書」をしている人はゲームやラインやネットサーフィンしている人よりはそれでもかなり少ないのだろうな。

で、その屋外でスマホなどを使う場合、最近では「歩きスマホ」が問題視されてきている。
ホームの端を歩いていて線路に転落したり、自動車はもちろん自転車でも運転中に事故を起こしたりするというのだ。
確かに周囲への注意が疎かになりがちになるので、気をつけるべきだと思うが、それにつけても思うのは、「歩きスマホ」は問題視されているのに、「歩き読書」がかつて問題視されたことがあっただろうか、ということだ。
上でも書いたが、それはおそらく本を読む人というのは大変少数派であって、その中でさらに歩きながらも本を読んでいる人が非常に少ないのが一番の理由だろう。それに対してスマホを使う人は圧倒的に多いのだ。
ただ、この件にはもう一つ理由があるだろうとにらんでいる。それは「二宮金次郎」の存在だ。薪を背負って歩きながら本を読んで勉強している姿の銅像が、小学校の校庭の片隅に現在でも見かけられるあの人である。あの像を見るたび「現代でそれをやっていると車にはねられそうで危ないのでは」とか「目が悪くなるよ?」とか思ったものだが、「歩き読書」は「勉強熱心な偉人」のイメージから、「良いこと」として黙認されているんじゃないだろうか、というのは考え過ぎなのかな?

先日、数人の知人とイベントのあと楽しく飲み食いしておしゃべりしたのだが、そのときああ今はそういう時代になったのだ、と思うことがあった。
店に入って注文したあと、他の人たちがほぼ一斉に自分のケータイやスマホをチェックし始めたのである。
いまだにスマホはおろかガラケーすら持っていない身としては、一人だけふと手持無沙汰な状態になった。それはそんなに長い間ではなく、ほどなくおしゃべりが始まり大変楽しい会ではあったので、別に文句を言っているわけではない。
外出先でも折にふれ、メールや自分のラインなりツイッターなりに何か来ていないかをチェックをするのが日常化しているんだなあという感慨を持ったものだ。ひところ「近頃の若者は集まっていてもそれぞれケータイをいじっていて互いに話もしない」などと眉をひそめられたものだが、最近ではきっともうとりたてて言うことではなくなったのだろうな。

…そして出先の待ち合わせや地図や電車の乗換など、「ケータイ持っていないと」という場面が次第にふえてきていて(自分だけならまだしも、先方に迷惑をかける)、こちらもそろそろ潮時かなあと考えている。
 

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